ももタウンネット,モモタウンネット,momotown.net
城跡と宮川の間に位置し、城東地区はたんご山の南下に広がり、城下町津山の東玄関にあたります。
中世、その地は林田郷と呼ばれ、栄えていたと言われています。1596年、この地は着々と開発され始め、
1647までに城東地区は6町区を含んだ、林田町(はいだちょう)・橋本町・勝間田町(かつまだちょう)・中野町・西新町、そして東新町、その地区の中央を貫いて出雲街道はうねり進んでいます。城東地区の住民は近隣の村々と、広範囲に渡る品々を取引していました。東新町は江戸時代から今日に至るまで 鍛冶屋で鎌・くわ・その他農機具を製造してきました。江戸時代には中野町や西新町の多くの住民が津山から岡山県南部地域に品物を運ぶ高瀬舟を所有していました。西新町はまた、日本の近代化学の基礎を築いた蘭学者箕作阮甫の故郷でもあります。城東地区の北の上之町はかつての侍や彼らの家来や足軽達の居住区で、この地域を貫く主要道路は出雲街道に繋がっています。1727年に米の生産高が低下し、それに併せて松平藩の統治力も低下したので住民の多くが流出しました。しかし1818年、米の生産高が10万石(米計量の単位)に回復すると、人口は増加し、住民は再び戻って来たのです。上之町の北の境界上には城東地区の大隅神社を含む6つの寺が次々と通りに沿ってならび、その地域に“東寺町”という名が与えられました。
出雲街道に建ち並ぶ家々の特徴は、その低さです。屋根も低く、そして木の格子戸と防火壁の藻土壁です。
なまこ壁と呼ばれる白い十文字装飾は川底の貝殻から作られ、しばしば豪商の旧家で見られています。


※店名をクリックして下さい。詳しいご案内が見られます。

イナバ化粧品店 〒708-0841 岡山県津山市川崎78-17 TEL(0868)26-1018・FAX(0868)26-1386
日本を代表するロックバンドB'zの稲葉浩志さんのご実家。イナパパやイナママのお人柄を慕って年間1万人以上の熱心なファンの方々が訪れます。今回のINAKESYO FAN SUPPORT SITEは、ファンの方々や津山の人々に少しでも喜んで頂けたら……との思いを理解して頂き、実現しました。もっともっと情報を充実させて多くの方々に、津山にそして岡山県に来て頂ければ幸いです。

津山鶴山ホテル 〒708-0832 岡山県津山市東新町114-4 TEL(0868)25-2121(代)・FAX(0868)22-1415
イナバ化粧品店から車で約5〜6分の吉井川河畔にある美しいホテルです。宿泊料10%OFF!

上田歯科医院 〒708-0841 岡山県津山市川崎1639-15 TEL(0868)21-8148・FAX(0868)21-8149
稲葉浩志さんの母校「津山東中学校」のすぐ手前にある歯医者さんです。

トリゴエ看板 〒708-0833 岡山県津山市西新町22 TEL(0868)22-4086・FAX(0868)22-4038
メモリアルロードの中にあるサイン会社です。息子さんはコピーバンドのボランティアで頑張りました。

ビジネスイン津山 〒708-00841 岡山県津山市川崎176 TEL(0868)26-5222・FAX(0868)26-6344
ビジネスイン津山は東津山駅から徒歩1分です。ホテルの裏はすぐに出雲街道です。B'zのファンの間では、イナバ化粧品店に一番近いホテルとして有名です。浩志さんとデビュー前のオダギリジョーさんとのとっても貴重な2ショット写真とサインがありますよ。





JR津山駅から2.5km、
中鉄バス8分(天神橋下車、徒歩2分)
JR東津山駅から1.5km、
ごんごバス10分(東新町下車、徒歩1分)
9:00〜17:00(入館は16:30まで)
火曜日(祝日のときは翌日)、12/29〜1/3
無料

0868-22-5791

 出雲街道が東西に走り、その中に在るのがこの旧梶村邸。江戸時代の後期に建てられた母屋から昭和初期の蔵まで、各時代の生活様式に対応した造りが保存されています。
 全体で梶村家の所有としては8つの建物があります。母屋と離れ、大きな座敷、洋風と和風の蔵、裏の客間(特別室)、茶室、そして洋館です。1928年に更に7m×34mの土地区画を西側の隣家から購入し、梶村家の所有地を31.5m×34mという現在の大きさに広げました。母屋は2階建てですが、2階は実際には物置として使用される低天井の屋根裏部屋です。家の前には小店があり、事務所や店舗として利用されていました。江戸時代(1603〜1867)、この辺りは板を張られていましたが、それ以前には土間(土の床)として放置されていました。家の東洋建築部分は、江戸後期に建てられ、洋館部分には、明治時代(1868〜1912)に、畳の間が加えられ、そして内装は、昭和初期(1930)に修繕されました。2階建ての座敷は大正時代に建てられ、現在の建物は極めて良好に保存されています。洋風につくられた東の蔵と家も、また大正時代に建てられたものです。後世の修繕は増築に限られただけではなく、建物正面や現存する建物の構造の変更をも含んでいました。石や木の格子細工(組格子・格子構造)は通りに面した元の土壁に付け加えられたもので、更に木製の補強(支え)が屋根の下に配置され屋根を9cmから15cmにまで上げています。
 長い時代を通して、母屋は様々な修繕を施され、家は、その元々の形に復元するのは難しくなっています。それ故、必要な修復だけが施されてきているのです。梶村邸の建築は母屋の建築と共に江戸後期に始まり、洋風の蔵が建てられた昭和初期まで続きました。様々な増築と修繕は各時代の生活様式の変化を反映し、それ故、梶村邸は貴重な歴史遺産なのです。

 





 元々、梶村一族は出雲街道の南に住んでいましたが、1695年に北側に現在の居を移しました。1760年の店の屋号は“山内屋”ですが、どういう類の仕事を営んでいたかは不明です。1767年に梶村家は領地の収入役に任じられたその地位は世襲制でした。この職務で、彼らは棒給と名字シゲトウを拝領しました。梶村という名字は1871年以降使われ始めたに過ぎないのです。
 明治中期に梶村兵五郎は議員として県議会に寄与し、金融界(銀行業界)で働いていました。彼の長男リョウジはガス会社と製紙会社で役員の地位を得ていました。また、兵五郎は、美作地方に於いて和歌の制作では有名でした。1909年、彼の和歌の一首が皇居で例年開かれる新年の歌会始めで詠まれるべく選出されました。

 

 

 
 

 
 





JR津山駅から2km、
中鉄バス8分(天神橋下車、徒歩2分)
JR東津山駅から1.5km、
ごんごバス10分(東新町下車、徒歩1分)
9:30〜16:00
月曜日(祝日のときは翌日)、12/29〜1/3
無料

0868-31-1346

 1799年(寛政11年)9月7日、箕作阮甫は箕作貞固(三代丈庵)の第三子として西新町に生まれ、1812年(文化9年)戸川町に転居するまでの13年間をこの旧宅で過ごしました。
 阮甫は、父・兄の没後家督を継ぎ、藩の永田敬蔵・小島廣厚から儒学を学ぶ一方、京都に出て竹中文輔のもとで医術習得にも励みました。修業を終えて京都から帰り、本町三丁目で開業し翌年結婚しました。その後、藩主の供で江戸に行き、津山藩医宇田川玄真の門に入り蘭学の習得に努めました。以後、学問研究のため三年間江戸詰の許可を得たのです。いったん津山に帰りましたが、1831年(天保2年)以後は、家族とともに江戸に住みました。その後、深い教養に加え、持ち前の語学力を発揮して、ペリー、プチャーチンの到来時に外交文書の翻訳に携わり、日本の外交交渉に重要な役割を果たしました。また、著作に専念し、医学関係に限らず、語学・地理・歴史・兵学等多岐にわたって出版するなど、洋学の発展に寄与しています。一度は隠居しましたが、幕末の状況はこれを許さず翌年には「藩書調所教授職」に再度登用され、洋学をもって始めて幕府直参に取り立てられましたが、翌年江戸湯島天神中坂下で没しました。行年65歳でありました。

 

 
 

 
 





JR津山駅から3km、
中鉄バス10分(松原向下車、徒歩5分)
JR東津山駅から1km、徒歩15分
ごんごバス8分(東松原下車、徒歩1分)
9:00〜17:00(入館は16:30まで)
月曜日(祝日のときは翌日)、12/27〜1/4
一般150円、大学・高校生100円、小・中学生50円

0868-23-3324

 往来盛んな出雲街道に面して建つ、赤いレンガのエキゾチックな建物は、一本の釘も使用していない千鳥破風入母屋造り。和と洋が重厚に調和し、歴史を感じさせるこの奇館は、行き交う人が立ち止まって仰ぎ見るほどに、その存在感を漂わせています。そんな面もちですが、実は大正9年に銀行として建築されたものです。昭和53年に、現在の資料館としてオープンし、幕末から明治にかけて活躍した津山出身の蘭学者の宇田川玄随・箕作阮甫らの資料を展示しています。

 





JR津山駅から1.5km、
中鉄バス7分(中之町下車、徒歩2分)
JR東津山駅から2km、
ごんごバス12分(中之町局前下車、徒歩1分)
9:00〜17:00(入館は16:30まで)
水曜日(祝日のときは翌日)、12/29〜1/3
無料

0868-24-6095

 出雲街道を歩いていると、白壁と火の見櫓がひときわ目をひく屋敷があります。ここには「だんじり展示館」があり、県指定文化財の豪壮なだんじりが4台展示され、見ごたえも十分。展示されている「だんじり」は10月の津山まつりに繰り出し、市街地をにぎやかに練り歩きます。

 

 





 古代より津山盆地は、日本海の村である出雲から都への通行の要衝でした。
戦国時代(1467〜1590)、姫路城が築城された時、津山は姫路城への道の重要な中継点となりました。1604年、津山城築城と城下町の計画が始り、この時、道は津山と四方の町々を繋ぐように敷設されたのです。地方の領主(藩主)をしっかりと支配下に置いておくために、江戸(現在の東京)の新幕府は参勤交代を導入しました。この制度は封建(時代の)藩主に家族をそれぞれの領地に残し、ある期間江戸に住むことを要求するものでした。
 1648年、封建(時代の)藩主たちの江戸への旅は出雲から姫路への旧街道を使い始め、そして松江から姫路への道は出雲街道として知られるようになりまた。交通の増加とともに店や料理屋が旧街道に出現し、津山は繁栄したのです。
1860年、街道幅は広げられ、松の木々が街道添いに植えられ、出雲街道は梶村家の南の境界に添って東西に走っています。

ももタウンネット制作・管理/有限会社小林デザインワーク  〒708-0044 岡山県津山市安岡町.9
TEL/(0868)22-0047・FAX/(0868)22-9492
 e-mail:shiawase@kobayashi-dw.com URL/http://www.kobayashi-dw.com